
古代から栄えた国
温暖な気候と肥沃な土地、そして清流がいたるところに見られる九州中央部に位置する熊本地方は、古代から多くの人々が暮らしていました。旧石器時代の遺跡が県内各所で発見されていることから、約2万8千年以上の昔から古代人が暮らしていたことが分かっています。
玉名郡天水町には日本最古の鉄斧が出土しており、弥生時代に栄えた文化と栄華を物語っています。大陸に近い地理的条件から、中国文化の影響を受けた青銅器や鉄器も数多く出土しています。古墳時代には宇土半島地区に前方後円墳が作られており、この頃は「火の君」と呼ばれる豪族が一体を支配していました。やがて、機内政権の直轄地となり、律令時代には名実ともに九州一の大国として栄えていきます。
武士支配と動乱の時代
平安時代になると各地に荘園が作られ(阿蘇荘・山鹿荘・鹿子木荘など)、次第に武士が台頭してくることになります。時代が鎌倉時代に入ると鎌倉御家人の相良氏が球磨地方に入国し、阿蘇氏・小代氏・菊池氏などの武士が中央政権から地頭や守護に任命され権勢を振るうことになります。戦国時代に入ると戦国大名の争いが肥の国にも波及し、各大名の争奪のにらみ合いが続きますが、その後豊臣秀吉が九州全土を平定し肥の国も秀吉の支配下に置かれます。
キリスト教が日本で最も普及した地としても知られていますが、禁教令後にキリスト教徒たちが反乱する「天草島原の乱」という悲劇も起きました。その後、秀吉の命を受けた加藤清正が肥の国全土を統一し「熊本城」を築城します。その後細川氏が明治維新まで肥後に国を収めることになります。