Home > 熊本の歴史> 戦後から現代まで

戦後復興の光と陰

戦後は一時期混迷が続きますが、昭和25年に勃発した「朝鮮戦争」をきっかけに日本中が特需景気に沸き、熊本も一気に復興の道を歩み始めます。27年には市立博物館が開館。住民登録制度が始まったのもこの年です。

工業化の加速と急激な復興は、住民を悲惨な公害病で苦しめる社会的ひずみを生む結果ともなりました。「水俣病」の発生です。長く続いた患者側と国側の裁判も、平成16年には結審となり、「水俣病」は、今では次の世代に公害という人災を決して起こさないという人類共通の願いを象徴する意味が込められ語られるようになっています。

テクノポリスと新幹線でさらに発展

昭和39年には新産業都市建設促進法が施行され熊本がその地区指定を受け、一躍工業化が進むことになります。特に大手の半導体企業が相次いで熊本に進出し、コンピュータ時代到来の一翼を担う県として注目を浴びます。さらに昭和58年制定の「テクノポリス法」に則り、「熊本テクノポリス」が創設されることとなり、産・学・住が調和する近代都市造りが加速していきます。

熊本は豊富な水資源と共にアジア諸国に近いという地理的な好条件もあり、県は特にコンピュータ産業の企業誘致を熱心に働きかけ、県側から「セミコンダクタ・フォレスト構想」を打ち上げ、産学協同の半導体事業発展を目指しています。

熊本県には魅力的な名所が随所にあり、歴史と文化に彩られた日本でも有数の県です。平成11年には待望の九州新幹線が全線開通し、これからも数多くの人々が訪れるようになり、熊本県は九州の中心地としてさらに発展していくことでしょう。